リキュールの論争
ジンがカルーアに言いました。
君のアルコールは悪酔いするね。
カルーアはジンに言いました。
あなたのアルコールは刺激が強すぎるわ。
互いに否定もできないし、かといって直すこともできない。沢山話して、ずっと話して、だけど意見の一致は無かったのです。当たり前の話。ひとつわかったのは、カルーアをジンで割っても、美味しくも何ともないこと。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
麦穂の花束持って歩く
この町の外には遠くて深くて静かな場所があるという。僕はそこに行きたい。愛情も憎しみも何もない、その場所に行きたい。


言葉さえも要らないという。言葉待って布団の中で泣き濡らす時間を使わなくて済む。求められなくても悲しくはないだろうし、気にされなくても辛くはないだろう。そんなものそこにはないのだから。その場所には誰もいなくて、何もない。約束をする相手もいないし、約束を破る相手もいない。相手の気分を推し量って自分の感情を殺す必要もない。同情を差し出す友人もいないし、同情されるのを厭う自分もいない。そもそも同情なんてない。私しかいないのだから。


静かな、その場所に行きたい。何もない、その場所に行きたい。誰もいない、その場所に行きたい。自意識が必要のない、その場所に行きたい。私なんてない、その場所に行きたい。息をしなくていい、その場所に行きたい。もう、泣きたくない。もう、泣きたくない。泣かなくて済む、その場所に行きたい。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
言い澱む隙も与えず圧倒するという妄想
寝坊した昼下がり、外は少しの優しさを抱いて昼間の顔をしていた。そこからほんの少し中に入った玄関にて、ちょうど出て行こうとする彼に伝えたい事が、胸の奥、腹の上にむくむくと発生しゆく事に気付いた。それを少しの装飾とオブラートに包んで目の前に差し出し、いつものように道筋を確認して見通しを通してしまおうと思ったのだが、言葉が出てこない。飾りやオブラートや、そういうものが出てこないのではなく。眼前に広げるべく体の奥にある筈の何かが形にならない。それがあるのは確実だ。体の真ん中で少しの質量を持ち、鉛玉の様な手触りで確かに存在している。しかし言葉が、出てこない。形に、ならない。


慌ててもいないのに冷や汗をかく様な心持ちで、換気扇の下で煙草を吸う。煙は白いような灰色のような紫のような形を持つようなやはり不確実。それを水晶体に映してみたところで、煙を肺に収めては吐き出してはしたところで、何も形にならない。焦点が固定できない。思考することができず、故に伝えるべき何物も持たない。


これは限り無い絶望だ。私のような人間にとって思考する事は呼吸と同意であり、詭弁を弄する事は遊戯と同意であり、感情を吐露するのは食事と同意。だのにどうだろう、この体たらくは。

そもそも言葉にする程伝えたいことなんてはなから無かったとしたら。限り無い道化だ。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
彼は確かに息をしていた
知り合ったのは何年前になるだろうか。もう忘却の彼方に追いやられる程に遠い過去のような気もするし、意外と年月は経っていないのかもしれない。ただ、時間とか、そういうのと何か違う処にあるような、そんな記憶だ。

彼とはそんなに親密だった訳ではないし、ましてや恋人でも無かった。友達だった。友達だったかさえも怪しいものだ。お互いにお互いの踏み込んだ心情の話なぞせず、専ら読んだ小説だとか、聴いた音楽だとか、あの政治家は、とか、リズムにぴったりはまる術だとかそういう話をしていた。要するに下らないことだ。だけど私はその会話の端々に何かしら含蓄めいたものを感じていた。もちろん本人に伝えることは無かったが。

何か、此所に居ない人であるような気がしていた。確かに目の前で笑っているし、馬鹿にすれば怒るし、挫折を味わったことの無い天才肌気質という訳でもなかった。しかし彼にとってそれは挫折だったのか、私はそれにも確信は持てない。B級映画の話をすれば目をきらきらさせて堰を切った様に話し。明治の紫煙について語り。アップルパイのシナモンの適量について所見を述べる。安住するところがこの人にはあるのだろうかと私にお節介のような気持ちを抱かせていた。

私にとっての理念系であり、だからこそ触れられなかった。愛しくてしょうがなくて、だけどそれは友愛ではなく、何か違う世界にあるつながりだった。腹の中には沢山のものを詰めているだろうに、私が受容しているのとは比べものにならないくらいの砂嵐を、混沌を、絶望を。だけど彼はそれに気付かせる間もなく、おくびにも出さず匂いにも出さず、きらきら光る燐粉のようなものをまき散らして、夕闇のような、湿っただけど不快ではないような甘い空気の中に溶けて消えていった。何も残さず、ひとかけらも何も残さず、記憶だけ残して。全く以って彼らしい所作だ。笑ってしまうくらいに彼だった。事実、笑ってしまったのだ。声を立てずに、けれど確実に。

おおきな人なのだろうと思う。あの夕暮れのような世界の終わり以来、私は彼を待っている。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
私がこの貝殻を捨てる日は
きっと空から星が降ってきて、それが至る所に花束の様に散乱し、三毛猫は七つの尾を持ち、落ちていた星はきっと丸くて、それを奴の墓標にする。百年待ったところで私はそれに気付けないだろうし、ひょっとしてそれを望んでいるかもしれない。目に映るもの全てが新しくて、新鮮で、刺激的だったのは遠い昔になってしまった。カーネーションは枯れた。カルーアミルクを入れる為のグラスは割れてしまった。指は切らなかったけれど、何かが切れた。吐き出すものさえもう腹の中にはなくて、寂しくて、けれどそれを吐露することももうかなわない。それを望んではいない。結局欲しいのは結果であって、17号線を飛ばして来てくれるのを希望している訳じゃない。そもそも原動が無いし。欲しいのは完全なる所有権、目配せさえすれば手を指し出すようなそんな所有権。本意じゃなくても、必ず、意識させずに私は手に入れる。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
ダダ式3
夜、電気スタンドに向かってその色は光の色かい?と問いかけてみたらば、少しはあの子もうかばれるかしら、と夢想する僕の頭の中には黒猫のビロードの様な黒々とした闇が離れない。彼女はディタよりもパライソが好きでエビアンよりもぺリエが好きだった。つまりはそういうことだ。

きっとあの山を登ったら星が嘘みたいな量降ってきて、僕達はその光におののいてきっと目をつぶってしまうだろう。山を登るうち、その木の根の生え方に、命に、突き破る様な絶対的な力に、恐れを感じずにはいられないだろう。そうしたら、僕達は微笑むことも忘れて、忘れて。



そのうち僕は
思い出す
これ

いいのだろうか、
と。


忘却なんか、糞くらえ
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
知らないふりをする
何も纏うな。何も。
受け付けないのだから、しょうがない。
本当は理由など分かって居る。
だけど少しでも纏わずにいられるのなら、
あたしは一口だって口にしない。
想像してごらんよ。だんだんと、だんだんと、
少しずつ剥がれていくんだ。要らないものが剥がれていくんだ。
空腹感だって快楽になり得るんだ。燃焼が快楽に
燃やすんだ。それはとても甘美だ。
絞り取られるような、中からすり減ってくような。
その感覚を味わったのならば、意味が分かるだろう。
結局思想は体に張り付いている。その身体性は十分条件であり、必要条件である。
だからこそ、主体性なんてものは得難いんだよ。
得る者が誰かが分からないんだから。
軸などぶれる為にある。
異常だなんて思わない
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
夢を見た様な気がする
けれど、それをやっぱりちゃんと覚えてないのは夢だからだろう。
昨日見たのは、愛情過多の鼠が猫に引っ掻かれて、裂かれて、血みどろになる夢だった。
私は上から見ていた。窓から見ていた。
一匹の猫が、装飾とも嫌がらせともつかない座布団の様なものをくくりつけられて歩いていた。
私はそれを上から

望むところなんてないとして。意味が無いとして。
有り難がってもらおうなんてそんな下衆な真似はできません。
煙草の火種についた髪はまるで意志があるかの様にゆらゆらと吸い込まれてった
ちりちりとした音を立てながら。
最早それにも驚かなくなった私は、
きっと都庁がロボットになっても微動だにしないでしょう。
欲望の枯渇は即ち そう君の思う通りだ。

明日が来て明日が来て明日が来て
綺麗な言葉を掬い出すのにも力がいるんだったんだね。
全く以って、これっぽっちも、絶望的な位に知らなかった。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
ダダ式2
構造主義が非人間的だというのは甘えと共に惰性であると思う。そこの点を解体するには言葉がまだ足りないので何も言えないけれど、けれど惰性は各個体に責めうるべき事象じゃない。分かってはいるのだけれど、あくまで形而上かもしれなくて、机上の空論と笑われたところで言い返す術も見当たらない。けれど別にそこに悲観してる訳じゃなくて、要するに今この様に在るということは考えられない程の偶然と必然の地層の積み重なりな訳で、そんな訳でインテリぶっちゃって、などという誹謗は別に痛くも痒くもない。論理性を欠く言葉を垂れ流すことは罪かしらね?罪と罰は対義語だっていったのは一体誰だったかしら。果たして昔の女学生と思考の目的は相違があるのだろうか。カテゴライズは便利な反面それ自体が非常に鋭利な刃物の様で、ふりかざすことは決して優しさとはいえないだろう。民衆の盲目など悲観する時代は終わりました。だからといってネグリやハートのように言葉で思考できる人間はどのくらいいるだろう。理念系を拡張しすぎることは恐ろしいことでもある。例えばそれがメディアを通してばらまかれたとしたらミームのように伝染したとしたら果たしてそれは真実になる。そこに主体の意志決定はあるだろうか?その前に主体という概念が机上の空論の可能性は否定できないけれども。我々は全て等しく宙ぶらり。しかしね、誰にも見つからないこんな0と1の羅列でさえもカテゴライズされた空間を漂う。発話者が既にかなりの勢いで犯されているということはこの上無い諧謔だ。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)
昼前のテレビで
時代劇をやっている。紋切り型の物語にはグルーヴがあると思われるくらい、どのドラマでも勧善懲悪、必ずや主人公が勝利するものだから、最早これは一種の嗜みではないかしらん、と頭の隅で思いながら少し写りの悪いモニタを睨むこと40分余り。

今日のピックアップ庶民は町の小娘だった。少し気の強そうな顔、その風貌に洩れず女だてらに学問を志しているというその小娘は一気発念流れの風来坊である主人公に悩みを吐露。それは独白、ただもひたすら彼女の胸の内を描写。再現映像までついてご丁寧なことである。

彼女は国学者の某を密かに師として仰いでおり、しかし何故密かかというとその国学者の某、奇癖余れる生活ぶり、こりゃあ阿片でもやってるん違うんと思わせることしきり。そんなていたらくだから小娘が学問を志すと親に言ったとき、親は町のどまんなかで蘭学塾を開いている何とか先生のところに勉強しにいくのだとばかり思っていた。それならと、多少進歩的でもあった親だから直々に何とか先生のところに頼みにいったはいいが、小娘が師と仰ぐのは結局某以外の何者でもなく。しかしその某ときたら小さい子を連れた若い母親に見ちゃいけません、とか言われて避けられるくらいの変人ぶりなもので、しかもこの進歩的ご時世に何が国文学か、蘭学の方が役に立つのに、と思われても致し方無い風潮で、それで彼女は困って一介の旅人の風来坊に思いのたけを吐き出しに参った訳だ。


結局この話、どのような結末に至ったかは定かではないが、まあそれはそれ、このお話とは関係の無い事だ。何で今あたしがキーボードわざわざかちかち打ってこんな文章書いてるかっていうと。彼女はこう言ったのだ。

「他の人から見たら取るに足らなくても、私にとっては彼の人の言葉は大変に輝かしいものなのです。例え井の中の蛙と言われても、それは何も関係の無いことなのです。」

盲の美しさよ。彼女は自分が盲であることを知っていてなお自分を肯定し得るのだ。なお、某を肯定し得るのだ。例え世間知らず故の盲信だとしても、小娘はそれに気付いてなお突き進まんとするのだ。

その姿は完全に美しい。
|nouvelle | comments(0) | trackbacks(0)

double happiness
戯言ハイパー
*CALENDAR*
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>

LINK
*PROFILE*